君平さんの小学生の同級生尾上康之さんにお会いしました。
今年2月17日に横浜で「東君平作品を読む」という朗読の会があり館長の私も参加しました。盛況のうちに朗読会が終わり皆さんと記念撮影をして解散したのですが、参加していた方が友人にその写真を見せたところその方がいきなり「なんでここに君平ちゃんの絵があるの」と叫ばれたとか。実は少しでも君平さんの世界を皆さんに感じてもらおうと朗読会場に君平さんの絵を展示したのですがその絵が写真に写っていたのです。叫ばれたのは君平さんの雲中小学校(新神戸駅近く)の同級生尾上康之さんだったのです。
そして3月某日妻(君平さんの長女菜奈)と一緒に尾上さんに子供の頃の君平さんの話を伺いました。
尾上『これは3年生の時の写真です。一番前に座ってる右から4人目が君平ちゃんやね』
菜奈「この頃から小さかったんですね」
尾上『小さかったけど君平ちゃんは面白かったよ。小学校の頃はイタズラばっかりしてみんなを喜ばせてたよ。家が病院やったから医学書を持って来て女体解剖図見せてね。みんなで大盛り上がりしたり』
田上「おマセだったんですね」
尾上『あの頃はそんなもん簡単には見られへんかったから盛り上がったよ。(笑)』
菜奈「勉強の方はどうでしたか」
尾上『勉強の方はあんまり覚えてないなあ。とにかくイタズラばっかりしてたからね』
菜奈「父は家でもいろいろイタズラをしてました。家族旅行で新神戸まで行く途中、新大阪で新幹線の窓の外のホームから手を振ってるんですよ。母も私も妹も出発しちゃうから早く戻ってと叫んでるんですけどニコニコ手を振ってて。もちろん新幹線はそのまま発車しちゃって残された私たちは大騒ぎで。だって携帯なんて無い時代ですから連絡を付けられないし」
尾上『あはは。君平ちゃん面白いなあ。雲中小学校の東京の仲間と同窓会やるんだけどいつも君平ちゃんが核になるんだよ。いろんな企画を立ててくれて話も面白くて楽しかった』
菜奈「父は幹事とかもやったんですか」
尾上『君平ちゃんは幹事はやらなかったなぁ。でも1986年の12月に同窓会やる事になった時は「僕、幹事やるから。面白い企画やるからね」って言ってね。そしたら同窓会の日が君平ちゃんのお葬式になってね…」
菜奈「あの時父は風邪が治らなくて『同窓会があるからそれまでに治さなくちゃ』って入院したんです。そしたらあっという間に亡くなって。なんだかイタズラの延長みたいで、父の亡骸を前にしてもふざけてるようにしか見えませんでした」
尾上『大人になって君平ちゃんが丸善書店とかデパートとかで展覧会やサイン会するようになってから子供の頃の話をしてね。そしたら君平ちゃん「僕に子供の気持ちが無くなったら僕の作品じゃなくなるんだ。もしそうなったら、僕はこの世界から去らなくちゃならないんだ」って言ってね…。君平ちゃんの原点は子供の頃のイタズラであり、皆を喜ばせることに楽しみがある。こういったことをずーっと大切にしてたんだなぁって…。君平ちゃんの絵を見ると今でもあの時のことをしみじみ思うんですよ』
この後も君平さんのこと、雲中小学校の同級生の皆さんのこと、神戸のことなどを聞かせて頂き、気がつけばあっという間に3時間が過ぎていました。
尾上さん、貴重なお話を有難うございました。